<引用元:ウォールストリート・ジャーナル 2018.8.23>WSJ紙論説委員 キンバリー・A・ストラッセル(Kimberley A. Strassel)氏による論説
モラーはどんな不正も探り出すつもりだ―片方だけの
ロバート・カザミ連邦検事は21日、マイケル・コーエンの司法取引について少し時間を取って中立性を称賛するコメントを出した。「彼が罪を罰せられる日は、私たちが法治国家であり、全員に平等に適用される1つの物差しがあるということを思い出させてくれる日となる」
崇高な言葉であり、かつては意味のあるものだった。だが正義の格差という問題が、現在我々が政府機関に対して持つ信頼の危機の中心にある。米国人が憤慨しているのは、連邦捜査局が選挙陣営に狙いを定めた容疑を捜査せざるを得ないと感じていたことではなく、特別検察官(special counsel)がロシアによる選挙干渉を調べていることでもない。むしろ正義の女神(訳注:司法省、FBIの象徴)が、片方だけを目の敵にしているようであることに憤慨しているのだ。
国民はFBIが一方の大統領選挙陣営を優しく扱い、他方には内部情報提供者、令状、盗聴を使ったのを見てきた。司法省が説明責任についてのあらゆる取り組みに抵抗し、説明責任を果たせずにいることを目撃してきた。そして偏ったマスコミについて言わせればきりがない。
そして国民は今、ロバート・モラー特別検察官の捜査に不平等な扱いがあるのを目の当たりにしている。確かにFBI元長官の同氏が、2016選挙に干渉したロシアのトロールをあぶり出したのは称賛に値する。またロシアに関係ないことであっても、彼には犯罪行為のあらゆる証拠を追求する義務があるのだと主張することもできよう。だが正当化できないのは彼の捜査の偏った性質だ。
コーエン氏のことを考えてみて欲しい。トランプ氏の元顧問弁護士は今週、8つの重罪について有罪を認めた。6つは彼自身の取引に関するもので、残り2つがドナルド・トランプと関係を持ったと主張する女性への支払いに起因する、選挙資金法違反に関わるものだ。選挙資金法違反に対する刑事訴追は並外れてまれ(ほとんどの場合は民事)だが、カザミ氏が話した言葉を見てみよう。彼は、コーエン氏は他より良く分かっているべき弁護士であり、また支払いが「選挙に影響を与える」目的であり選挙の「整合性」を損なうものであるために、コーエン氏の犯罪は「とりわけ重大」だと述べた。
「1つの物差し」しかないのであれば、ヒラリー・フォー・アメリカ(訳注:ヒラリー・クリントン氏の選挙陣営)に対してモラー氏が訴追したものはどこにあるのか?連邦法では、選挙陣営は全ての支払いの受領者と目的を公開する必要がある。クリントン陣営はトランプ氏に不利な文書をまとめさせるために、フュージョンGPSに支払いを行った。その文書が、現在モラー氏が捜査しているロシア疑惑の根拠となったのだ。だが同陣営はそのお金をパーキンス・クーイ法律事務所に送り、次に法律事務所がフュージョンに支払った。同陣営はそのお金を、「法務サービス」のための支払いだと偽って説明していた。民主党全国委員会(DNC)も同じことをやった。パーキンス・クーイの広報は、クリントン陣営もDNCもフュージョンGPSが調査を実施するために雇われていたことを知らなかったと主張した。ことによるとそうなのかもしれない。だがこの弁護士たちの多くは明確な法規を無視していたように思える。おそらくは選挙に影響を与えるという意図を持って、だ。
モラー氏は、ポール・マナフォートやリック・ゲーツが外国のロビイストとして登録するのを怠ったことを理由にこき下ろし、マスコミの賞賛を受けているが、外国代理人登録法(FARA:Foreign Agent Registration Act)に基づく訴追も非常にまれだ。法律は法律だ。
しかしこの基準の下で、フュージョンGPSの責任者たちに対する起訴はどうなっているのか?チャック・グラスリー上院議員の話では、彼らは米国の制裁法に反対する有力なロシア人のためにロビー活動を行っていたようであり、ここでもまた法律事務所を経由して支払いが行われていた。これはあの文書の仕事に対しては副次的なものだったが、モラー氏は副次的な容疑を何とも思わないのが常だ。
あるいは文書の作成者であるクリストファー・スティールに公正な見方をすることについてはどうか?FARAでは外国人が外国の主体のために行動する場合、登録が必要とされている。最近公開された司法省高官のブルース・オーからのメールによると、英国人のスティール氏は、司法省に対してロシア新興財閥のオレグ・デリパスカを弁護していたことが分かっている。
モラー氏が訴追した7人の米国市民の中で、5人は(中でも)連邦当局に対する虚偽の供述で起訴された。だが政敵への行動について、FBIと司法省に対して卑劣にも虚偽の主張を繰り返した支持者に対しては全く訴追がない。元国家安全保障補佐官のマイケル・フリンとロシア大使との間の会話を公開するという前代未聞の事件も含めて、機密情報をリークした人々にも全く訴追はなかった。ゼロだ。
これらの容疑の中には法廷で勝ち目のないものもあるだろうが、それは的外れだ。コーエンの選挙資金容疑やフリン氏の「虚偽供述」の容疑の穴をつつく弁護士は、たくさんいるだろう。特別検察官は絶大な力を振るっている。単なる容疑の脅威が司法取引を生み出すのだ。それが重要な焦点だ。
検察は、自分たちが求めているのは公平に法を適用することだけだと主張することもできるが、容疑者の半分にしか適用しないのであれば公正は果たされない。モラー氏は、党派を超えて徹底的な調査を行うことを、(基本的なこととして)国民が必要としていることが分かっていないようだ。それを怠るのは彼の調査結果の正当性を全く損なうものだ。正義の女神は片目だけを覆っているのではない。