<引用元:ザ・ヒル 2018.3.21>(アラン・ダーショウィッツ法学教授による論説)
トランプ大統領が、いわゆるロシアとのつながりの捜査に特別カウンセルを任命すべきでなかったと言っているが、これは正しい話だ。トランプ政権が犯罪を犯したという証拠はなかった。だが、ロシアの工作員が2016年の大統領選挙に、またことによると他の選挙にも、民主主義を不安定にしようとして干渉しようとしていた、という証拠はたくさんあった。それでも、特別カウンセルを任命して、大陪審の閉ざされたドアの中で犯罪を捜査するというのは、我が国の民主主義に対するこのような挑戦が今も続いている中で、その対処方法としては全く間違っていた。
正しいやり方を取るのであれば(今でもそうだが)、9・11のテロ攻撃後に選任した委員会のような、我が国の選挙に対するロシアの関与を広範にオープンに捜査するための、党派を超えた調査委員会を選任するということであっただろう。これは、英国やイスラエルのような他の民主国家が、制度面の問題に対処する際に行うことだ。そのような委員会の長所はまさに、結果に政治的な利害関係を求めない、客観的立場の専門家が党派を超えた信頼性を保っているという点だ。
そのような委員会であれば、ロシアが行った内容とその再発防止策を米国民に知らせることができただろう。それならば、議会委員会がいつもやっているように、調査結果から党に有利な点を追求していくことはないだろう。また、特別カウンセルが自らの存在と予算を正当化するために行うように、政治的な過失を犯罪と見なそうとして犯罪を探し回ることもないだろう。その職務は情報を収集し、勧告を行うことだけだ。
特別カウンセルの欠点は、犯罪を見つけ出すことが期待されているということだ。だから、多額の税金を費やしてからもし結果が出せなければ、失敗者と見なされる。もし指定されたターゲット — この場合は大統領だが — を起訴できなかったら、たとえ特別カウンセルの主要な任務と無関係な犯罪のためであっても、少なくともそれに近い者を起訴しなければならない。容易な目標を起訴することで、自分が努力していることを示すのだ。そういった重要性の低い被告は、お偉方に背を向けて口を割るだろうが、問題は供述への圧力によって「創作」する被告も出てくるかもしれないということだ。つまり、自分にとって取引が有利になるように証拠をでっち上げたり、より強いものにするということだ。
この場合、特別カウンセルの任命は益となるよりも害になってしまっている。それは、我々の司法制度を取り返しのつかないほど政治化してしまっている。FBI副長官はリークと虚偽証言で解雇された。彼の証言は、リークが認可されたものかどうかという点でFBI元長官と食い違っているようだ。FBIの幹部捜査官のメールは、トランプに対して極めて否定的に偏っていたことを示唆している。CIA元長官のツイートは、同様に大統領に対する否定的な見方を露呈している。ひょっとするとこれらの発覚は、法執行機関と国家安全保障機関の幹部も人間であり、他の誰もが持っているように政治的な観点を持っているということを証明しているだけなのかもしれない。
しかし、このような観点が判断に影響を与えるべきではない。党派的な傾向が極めて高いこの時代では、国民は当然のことながら、指導者が自分の政治的観点を法執行の判断から区別することができ、進んでそうするということに確信を持てない。これは必ずしも全てが特別カウンセルの任命のせいだとは言えないが、両者が政治的に違うことで犯罪と見なすということが、司法制度に対する不信感を助長しているのは確かなことだ。
国民は司法省とFBIの幹部に対する信頼を失ってしまった。議会捜査委員会も信頼していない。食い違う話を聞かされて、誰を信じて良いか分からないのだ。リークを否定した後から数多くのリークが出る。まったくひどい状況だ。ではどんな成果があるのだろうか?2016年大統領選挙に影響を及ぼそうとするロシアの試みに無関係な、あるいは辛うじて関係がある程度の犯罪とされるものにおおむね基づいた、わずかな低レベルの起訴があるだけだ。
受けてしまった損害の一部を修復するのには、まだ遅すぎることはない。これから議会に超党派の委員会を選任させて、選挙に対するロシアの影響力行使に対する透明性のある捜査を実施させよう。超党派の委員会が報告書を出すまで、特別カウンセルの職務を一時的に停止させよう。その報告で犯罪と犯罪者が特定されたら、起訴するだけの十分な時間はある。今すぐに我々には党派を超えた真実が必要だ。なぜなら特別カウンセルからはそれが得られることはないからだ。