<引用元:フェデラリスト 2020.5.28>ジョン・ダニエル・デビッドソン政治部長による論説
ツイッターは、免責指定でトランプ大統領のツイートを社説で論じ「ファクトチェック」したいなら、他の出版社と同様の扱いを受けるべき
郵便投票のリスクに関するトランプ大統領のツイートに対して、今週ツイッターが免責指定すると決めたことで、ようやく、ツイッターが中立のプラットフォームでしかないという作り話をせずに済む。
ツイッターは中立ではないし、そうだったこともない。中立だというふりをするのはもうやめるべきだ。
トランプのコメントの優劣と、大規模な郵便投票が名案かどうかに関する全体的な議論は脇に置いておこう。ここで重要な点ではないからだ。ユーザーが郵便投票について「事実を確認」できるように、トランプのツイートに警告ラベルとリンク(皮肉なことにCNNのクリス・シリザの記事へのリンク)を与えて介入することで、ツイッターは中立のまとめ役であるとなるべきだという主張をすべて放棄した。換言すれば、偏りのないソーシャルメディア・プラットフォームであることをやめ、従来型の出版社に転向した―この場合、非常に明確な編集方針を持つ出版社だ。
これまでもずっとそうだった。シリコンバレーが政治的に進歩主義であることは誰もが知っている。例えばVOXが27日に報じたように、その経営幹部たちは民主党の大統領有力候補であるジョー・バイデンを勝たせようと熱心に取り組んでいる。
今唯一の相違点は、ツイッターがそれを非常に強く露骨に示すと決めたという点だ。ツイッター、フェイスブック、グーグルのようなソーシャルメディア企業は、ユーザーが言っていることの真価に意見するのではなく、サイトのルールに独自の偏見を埋め込み、独自の「コミュニティガイドライン」をただ押しつけるための奇妙な口実の下で、長年検閲を行い社説を論じてきた。こうしたコミュニティガイドラインは誰が書き、強制しているのだろうか?ツイッターのサイト品位責任者、ヨエル・ロスのような人たちだ。ロスの2016年から2017年にかけた反トランプツイートが最近再浮上した。ロスはトランプと政権職員を「現実のナチス」と呼び、ミッチ・マコーネル上院多数党院内総務を「バッグオブファーツ」になぞらえ、トランプ支持者は人種差別主義者だと示唆した。
This person is the “head of site integrity” at Twitter pic.twitter.com/hyZcl5VIe0
— Jon Levine (@LevineJonathan) May 27, 2020
今週変わったのは、ツイッターが要するに、中立のプラットフォームという見せかけを捨て、こうした偏向を認めるようになったという点だ。同社は―今回の場合不在者投票に関して―1つの見方を持っており、ユーザーにその見方を進んで押しつけようとしているということが判明した。ロスのような人たちを雇ってルールを書かせ、押し付けることによってではなく、合衆国大統領をあからさまにファクトチェックすることによって。
こうすることでツイッターは公然とした形で政治に決然と取り組んだだけでなく、ソーシャルメディア企業の在り方の中心にある作り話を暴露した。つまり中立のプラットフォームではなく、偏向しており、主流メディアの同等組織と似たようなものであり、圧倒的に保守主義者に反対で進歩主義者に味方している、ということだ。
ツイッターは従来の出版社と同じ基準に縛られる必要がある
それが重大な問題である理由はこうだ。何十年もの間、ソーシャルメディア企業は両立を求めていた。自分たちの好まない意見を検閲し好む意見を推進しながら、従来の出版社が持たない法的責任の免除を享受できることを求めたのだ。
彼らがこうすることができたのは、1つには連邦法のおかげだ。インターネットが始まったばかりの1990年代後半、連邦議会は、第三者がアップロードしたものである限り、不正確なことや中傷的である可能性のあるものを公開することに対する、インターネット企業の法的責任を免除した。
特に1996年に成立した通信品位法230条は、ユーザーが常軌を逸した陰謀論、悪意を持ったうそ、まったくのでたらめを投稿したことでツイッターのような企業が訴えられないよう保護している。
そういうわけで、例えば2017年12月のこのような完全に間違った話を、時々ツイッターで目にすることがある。その中でCNNは、ドナルド・トランプ・ジュニアが公開前にハッキングされたウィキリークス文書について情報を入手していたと主張した。
(CNNとは逆に、これは事実無根だった。トランプ・ジュニアは単に、すでに公開されていたウィキリークス文書について伝えるメールを受け取っただけだった。CNNはそれをうっかりミスのせいにした。)
こうしたことを全て踏まえた上で、ツイッター、フェイスブック、グーグルなどの大規模ソーシャルメディア・プラットフォームを持つ巨大IT企業は、まるでニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、CNNのような編集上の偏向を明らかに持っている。ところがそうしたメディアと異なり、これらのIT企業は、第三者に意見交換の場を提供しているだけであるという作り話に身を隠すことができたので、ユーザーの投稿の責任を取らされることはない。
もうたくさんだ。ツイッターが影響力のある人の投稿を全てファクトチェックするようにしたいのであれば、結構だ。だが公平で公正なやり方でそれを行うことは決してできないし、230条の保護を主張し続けることも絶対にできない。
ミズーリ州のジョシュ・ホーレー上院議員が27日にこう話したように。「非常に簡単なことだ。ツイッターとグーグルその他が社説で論じ、検閲を行い、従来の出版社のように行動しようとするなら、従来の出版社のように扱われるべきであり、230条で連邦政府から特別な区分けを受けるのをやめるべきだ」
ホーレーの直感は正しい。少なくとも彼と上院の共和党議員は、ツイッターのジャック・ドーシーCEOに、同社が従来の出版社のように行動すると明確に決めたのになぜ230条を享受し続けるべきだと考えているのか説明を求めるべきだ。その中で、もしかするとドーシーは、昨年サム・ハリスに「これ以上我々が中立の立場を取る余裕はないと思う」と話したことが、どういう意味だったのか説明できるかもしれない。
ところが、もしかするとその必要はないかもしれない。彼の言わんとしたことはみな知っている。