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独自:「これがチャイナ・インクだ」ハンター・バイデンの仲間が共産党に同調する中国エリートのホワイトハウスでの会談を支援したことを示すメール

<引用元:ブライトバート・ニュース 2020.10.16

新たに入手したハンター・バイデンのビジネスパートナーのメールには、副大統領の息子とその仕事仲間が、外国人の見込み顧客・投資家のための、ホワイトハウスの最高レベルでの内輪の会談を調整するために、オバマ・バイデン政権に対する自分たちの接近手段をどう利用していたかが詳細に説明されている。これらの今まで公開されたことのないメールは、中国の投資家代表団と共産党員が、いかにして当時のジョー・バイデン副大統領との内輪の記録されない会談に、何とかこぎつけたかの概要を示している。

2011年のメールで、ハンター・バイデンの仕事仲間は、「中国人のためのソフト外交の新たな推進」の一環として「チャイナ・インク」と呼ばれるものとの関係構築についても話していた。こうしたメールは、ニューヨーク・ポストが公開したハンター・バイデンのメールとは全くつながりのないものだ。

こうしたこれまで公開されたことのない衝撃的なメールは、ハンター・バイデンとデボン・アーチャーのかつての仕事仲間である、ベバン・クーニーからシュバイツアーに提供された。クーニーは現在、2016年の債権投資詐欺の企てへの関与のため服役中だ。

2019年に、クーニーはシュバイツアーが2018年に出した「Secret Empires」という本での暴露をよく知るようになってから、シュバイツアーに働きかけた。クーニーは、自身は詐欺計略の「カモ」であり、アーチャーとハンター・バイデンは責任を回避したのだと考えていると説明した。

アーチャーも事件で有罪判決を受けたが、連邦判事は判決を無効にした。だが控訴裁判所は下級裁判所の判決を覆し、アーチャーの有罪を復活させた。ハンター・バイデンの長年のビジネスパートナーであるアーチャーは、判決を待っている。

クーニーは、有罪判決を受けて現在服役中だが、その後調査ジャーナリストのマシュー・ティルマンドを通してシュバイツアーとの交流を再開した。クーニーは獄中から、シュバイツアーに文書による承認と、自身のGmailアカウントのメールアカウント名とパスワードを提供し、こうしたメールを読み出せるようにした。彼は書面でこうしたメールの公開を許可した―ハンターが父親の影響力を利用したことを、親しい関係者が公に認めたのは初めてのことであるため注目に値する。

メールは、バイデンをとりまく人々がオバマ・バイデン政権中にどのようにビジネスを行ったのかに対して、他にはない確認の手段を提供している。こうした関係者は、ビジネスを生み出すためにハンター・バイデンの父親とオバマ・バイデンのホワイトハウスとの関係、そしてその接近手段を利用しようとしていた。

例えば、2011年11月5日、アーチャーの仕事上の人脈の1人は、中国の企業幹部と政府高官の一団のためにホワイトハウスでの会談を調整するのを手助けすることで、「優れた新規見込み客」を獲得できるチャンスを匂わせるメールを彼に転送した。その一団とはチャイナ・アントレプレナー・クラブ(CEC)と、中国の億万長者や中国共産党支持者、そして少なくとも1人の中国の「評判の高い外交官」を含む代表団だった。CECは無害な名称とは裏腹に、中華人民共和国―国内のほとんどの企業を緊密に管理する共産主義政府―の「第二の外務省」と呼ばれている。CECは2006年に、ビジネスマンと中国政府外交官のグループによって設立された。

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オバマ・バイデン政権の公文書から、実際に、2011年11月14日に中国代表団がホワイトハウスを訪問し、ハイレベルの接近を実現していたことが明らかになっている。ホワイトハウスの訪問記録によると、代表団には約30人のメンバーがいた。だがその記録では、おそらく中国代表団にとって最も重要な要素があいまいにされている可能性もある。

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その訪問で確立された関係が、やがてハンター・バイデンとデボン・アーチャーに利益をもたらした可能性がある。2年後、彼らが中国政府が財政支援するBohai Harvest RST(BHR)の結成に手を貸したことは有名だ。BHRの最初の主要ポートフォリオ投資の1つは、Didi Dache―現在のディディ・チューシン・テクノロジー―というウーバーに似たライドシェア企業だった。その会社は、チャイナ・アントレプレナー・クラブ(CEC)会長でレジェンドホールディングス―世界最大のコンピューター企業の1つであるレノボの親会社―創業者である柳傳志(Liu Chuanzhi)とつながりが深い。柳は、元中国共産党代表団であり、2011年のホワイトハウスへのCEC代表団のリーダーだった。彼の娘はDidiの社長だった。

(以下略)

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